昭和五十七年八月二十三日 朝の御理解
御理解第八十八節
昔から、親が鏡を持たせて嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりでは ない。心に辛い悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。
今朝の御祈念に、こうして朝の御祈念に沢山皆さん御参拝になります。その御参拝にな る皆さんが、これは一様に一番心をこめて御祈念をしなければならない事はどういう事だろうかと、私思いましたら御心眼に、大きな、昔、大きなショウケがありましたね。あの『ショウケにいっぱいの夏豆ね、そら豆です。そら豆をちぎったばっかりのようなのをいっぱい山積みに入っている所を』頂いたんです。
私は、そのそら豆を見てから夏豆というふうに感じました。夏豆という事は、この暑い 夏に壮健であるという事を感じました。この暑さにも負けずに元気で壮健であるという事、これを第一の祈念のいうなら御礼の一番にしなければいけないと、私はその御心眼を頂いて感じました。こうして朝参りでも出来ておるという程しに、もういよいよもってそれこそ秋山さんじゃないけども、今日もうお引き寄せ頂いて、もう兎に角体の丈夫を頂いておらなければ出来る事じゃないですからね。それをいわゆる心から御礼を申し上げるという事なんです。しかも、家族の者が揃いに揃うてこの暑いのにね、夏負けもぜずに元気で健康であるという事を心から御礼申し上げる。これはもう第一である、御礼の第一。
そこで、私は今日の御理解でからその事を頂きますのにです。人に悪い顔を見せんとこ ういう、ね、ですからそういうおかげを受けておる事の御礼のしるしに、今日一日人に悪い顔を見せるような事があってはならぬ、為に心に生き生きとね、喜びの頂ける修行をさしてもろうて健康であるから出来る修行、ね。健康であるから御用も出来る。その喜びを持ってです、今日私だけではない一家の者がこの夏に壮健であるという事を御礼申し上げるだけでなくて御礼のしるしにというのです、ね。
今日・・・神様がね、御礼なら御礼を聞き届けて下さったらもうそれは願いにも通ずる 事なんです。どうぞ今日も健康でありますようにと言わんでもね、も、今日おかげを受けておる事を心から御礼を申し上げたら神様には通ずるんです。だから、願わん事までおかげになってくるんです。
けれども、それがただ、こう、ま、上っ面だけの御礼であってはいかん。だから、その しるしに今日修行せないかん。こうやって健康であるという事を、只有り難うございますというだけでなくて、ね、御礼のしるしに人に悪い顔ども見せるような事があってはならぬ。為には心に生き生きと喜びを頂いておかなければならないという精進ね。そういう心で、壮健である事の御礼が申し上げられたら、ね、も、必ず神様にその御礼が届くであろう。
御礼が届くという事は、もうその中に、ね、私はもう願いもお詫びも入ってくると思う んです。神様に心から御礼申し上げる、ね、ただ口先だけで御礼を言う、心から言いよるけれどもそれを形に表わして御礼を申し上げる。
今日は御礼のしるしに、ね、一切を、なら修行で受けよう、その気になると出来て有難 くなるですね。
これはもう、私の三男の幹三郎が肉腫で、もう九十九パーセントはだめだとお医者さん に言われた位でしたが、まあその時に御信者さんの皆さんが、もうそれこそ打って一丸となって、あのう勢祈念をして下さいました。
その時に、ここの合楽の田中さんがお届けされた事、今にこの事だけは忘れませんが、 またこういう心の状態で修行したらおかげになるなと思った事でしたけれども。どうぞ幹三郎さんの病気が、ね、例えそれはもう医学的には不治と言われておる病気であっても、そこにね、いうならば富永先生がお母さんの野口さんに言われた。もうこれは、私共医者が診てもう九十九パーセントはだめです。残っておるのは一つです。それは、奇跡あるだけです、と言われた、と言う、ね。その当時、九大に努めておられましたですね。富永先生、その富永先生のそれで手術が出来た訳ですが、ね、という事をみんなが知っとりますから、もう助かるという事だけあるならば奇跡があるだけ一つだ。その一つの奇跡を表わして下さい、幹三郎さんの上に。その為には、私が今からさせて頂く修行は、も、すべての事を修行として頂きますから、というお届けをされました。
丁度、あの時分にお百姓さんな何か忙しい時、何か田植えかなんか忙しい時分でした。 ですから、その近所やらにお手伝いにおいでられる、田植の加勢なら田植えの加勢においでられる。そこは、私さっき忘れましたが、兎に角農繁期でした。お手伝いに行きますが、も、それをね、色んな条件なしにね、幹三郎さんがおかげ頂かれる為の修行と致します。もう家で茶碗を洗わして頂くのもその為の修行、家で子守りをさして頂くのもその為の修行、と、そこに一つの願いに対する修行そういう修行をさして頂くというお届けがありました。まあ、皆さんがそういうような一念を燃やして下さったおかげで助からん筈のつが助かった、わけですけれどもね。
なら、今日皆さんに聞いて頂くのは、そのそれによく似た話しなんです、ね。合楽で、 皆さんが朝参りをして来て一番に心から御礼を申し上げねばならん事はね、今日も元気にお引き寄せを頂いたという事なんです。他のどういう難儀、問題があっても、あれも頼まんなんこれも願わなんという事があっても、一番に心から御礼申し上げなければならない事は、ね。この暑い最中に壮健で朝参りが出来ておる、という事を心から御礼申し上げる。それも、口だけではない心だけではない、ね、そのこれ程しに有難いと思うとりますというしるしに、今日は一日ね、人に悪い顔ども見せるような事があってはならぬ。これをもって御礼のしるしと致しますというような信心が出来たらね、もう一切がおかげになってくると思うですね。
だから、もう問題はまずは、なら今日こうやって健康である、しかも一家中が健康であ る壮健であるという事を本気で有難いと思わなきゃいけない事です、ね。それが思わないと、次の修行が実感として生れてこない。けども、今日私がお知らせ頂いたように何が何でも壮健である、という事を一番に御礼申し上げるんだと、神様は教えて下さるのですから、ね。それを皆さんがほんにそうだと思うてね、その御礼のしるしに今日は一日人に悪い顔ども見せるような事があってはならぬという修行に取り組まれたらね、その御礼を神様が芯から受けて下さる。神様が受けて下さるところから、おかげのルートは生れて来るのです。そこにはもう健康だけの事ではない、全てのがおかげになる働きともなってくるというふうに思います。
今日は、一つ皆さんが御心眼に、ね、そういうふうな願いをしたら沢山のそら豆、夏豆 を頂いたと思うて、もう一遍考えてみて下さい。この暑いのに健康で朝参りが出来ておるという事、この事が、も、一番に神様に、また神様はその事に対して合楽で私の祈りの圏内の中にある皆さんの上に、このおかげが一番におかげを下さっておるという事になります。
親先生の祈りのおかげで今日も健康でおります。その事を御礼を言う、心に思うただけ ではなくてそれを形に表わして、その御礼のしるしに、ね、今日一日不平ども言いません、不足ども言いません、悪い顔を人に見せるような事は致しませんという事になったら、今日の御理解ちゃないけれども、八十八節、こういう信心を私共が続けて行くならば、も、必ず広がりに広がるおかげが約束されると思うですね。 どうぞ